早いもので。
久しぶりのブログです。
本当に久しぶり過ぎて竜宮城から舞い戻ってきたようです。
ヨボヨボのおばあさんにはなってませんよ。
足腰弱いので肉体年齢は96歳ですが。
10月はハロウィンがありましたね。
と言っても私はアプリで加工してプチ仮装をしたくらいですが…。
もしハロウィンパーティーをするから何か仮装をしてきて!と言われたら、チャイナ服かナースの仮装をしたいですね。
チャイナ服は欲しいなと思いながら結局今の今まで購入していないので、いつかは買って着てみたいです。
他にも色々な国の民族衣装を着てみたいです。
ナースなどコスプレをするのは昔から好きなので、年齢的に痛いと思いつつも許されるなら人目につかない場所でしたいですね。
人目につかない場所でコスプレ…?と疑問に思われると思いますが、察してください。
そういうことです。
11月は寒くなったというのが第一と、暗くなるのが早くなりましたね。
昼間は暖かいので上着要らないかも〜と甘く見ていると陽が落ちた瞬間死にます。
服装の調節が大変な季節ですね。
いっそ爆裂に寒くなって欲しいです。
そしたらホッカイロを大量に貼れるのに。
でもホッカイロを服に貼ると腰や喉が痛くなるのは私だけでしょうか。
長年の謎です。
最近植物が欲しくなってきました。
緑に飢えてるのでしょうか。
子どもの頃はよく山や森、川や海などに行って自然と触れ合っていました。
肺に綺麗な空気が満たされ循環し、空気がとても美味しく感じたのを覚えています。
キャンプにも行きたいですね。
焚き火をして電子機器が無い世界でぼーっと過ごす。
空がとても高く、満天の星たちが今にも降り注いできそうなそんな場所に行きたいです。
星を見ると心が落ち着きます。
皆さんは最近空を眺めましたか?
都会の明るさの中では星は霞んでしまいますが、月は変わらず浮かんでくれています。
みんなが同じ時間を生きているんだと、実感できる夜空が私は大好きです。
話が色々と散らかってしまいましたが、そんな今日この頃でした。
11月も半分は過ぎ、もうすぐ12月。1年はあっという間に経ってしまいますね。
一日一日を大切に。
成長と支え。
久しぶりのブログです。
地味に仕事が忙しく文章を書く気力すら湧いてこない状態が続いていました。
少し復活してきたので、最近あった事を書いていこうと思います。
皆さんは運転免許を持っていますか?
私はいい歳した大人ですが、免許を持っていません。
それがここ最近取った方が良いのかな…と思うような出来事がありました。
仕事で今はひとつのことだけを任されているのですが、上司が働きぶりを評価してくれているようで、そう遠くない未来に本部や同グループの別会社での勤務も視野に入れて欲しいという話をされるようになりました。
自分としてはまだまだで、後輩に教えるのすら手一杯で、とそんな中で新しい話を持ち出されたのです。
私はかなりのんびりしています。
仕事はスピーディーに、と考えはありますがひとつの仕事から別の仕事に移行したり、場所が変わったりすると内心全然慣れません。
妙に落ち着いて見えるそうなので、すぐ慣れたように思われているのかもしれません。
内心では水面下の白鳥のように足を必死にバタつかせています。
そんな話を出された際に、様々な場所に行ったり、上の人間の手助けなどするため、運転免許を持っていた方が助かると言われたのです。
そうは言っても、マリオカートで永久に壁にぶつかってる女からすると運転なんて恐怖の対象でしかありません。
そもそも何故私のような人間がそんな評価されているのか分かりません。
周りの人はもっと上手くできているのに…。
自信がない人間が、キャリアアップの為に取れるか分からない運転免許に挑戦する…。
昔の自分だったら考えられない事です。
これはどう考えても、「ちゃんと決めなさいよ!チャンスよ!」と神様に言われているのだと思います。
ここで尻込みしたら今までと変わらない生活が待っているのかもしれない。
けれど新しい一歩を踏み出すのは怖い…。
誰かー!誰か助けてー!
そんな風に叫びたい気持ちでいっぱいです。
私のことを理解してくれていて大樹のように支えてくれる存在がいたら、と思わず考えてしまいます。
しかし今そのような人がいないのは、自分で自分を支えて前に進むしかないという意味なのでしょうね。
成長する為に挑戦するのは、とても怖いです。
未来が見えたらこの怖さはなくなってくれるのでしょうか。
そんなことを考えながら泣きつきたい!怖い!
とひとり半泣きになりながらクマのぬいぐるみを形が変わるまで思いきり抱きしめる超絶ビビりの私でした。
(クマが苦しそうにこちらを見ている…)
オードリー・ヘプバーンに魅せられて。
皆さんは尊敬している人物は?と聞かれたら、どう答えますか?
私は世界的に有名な女優、オードリー・ヘプバーンの名前を挙げます。
彼女は私の憧れで、私が夢見ている事を全て叶えていて、私が求めているものを全部持っているからです。
美しい彼女は、女優ではなくバレリーナを夢見る少女でした。
美しくすべてに恵まれているように見えた彼女は、幼い時に両親が離婚、母親に引き取られ家計の為にプリマではなくギャランティーが高い舞台女優になりました。
女流作家コレットの目に止まったオードリーは、スターへの道を歩み始めます。
私が彼女の出演作品で一番好きなのは、ローマの休日です。
彼女の気品と愛らしさが全面に出ていて、ストーリーも女の子から女性へ成長していく、オードリーのこれからを表しているような物語です。
その後次々と映画の主演を務めたオードリーは、家族との暮らしの為に自ら映画の世界から姿を消しました。
それからの彼女は、少女の頃に第二次世界大戦の最中で栄養失調から様々な病気にかかってしまった際、ユニセフの前身組織から救われた事がきっかけでユニセフの活動に力を入れ始めます。
彼女は輝かしい女優としての人生を歩みながら自らその世界を離れ、晩年は未来を担う子ども達の為に生きていく。
彼女の尊敬すべき点は、自分の立場を上手く利用し、助けが必要な人達に対して他の人達の目を向けさせる。
それを彼女自身も分かっていて立ち回っていたように思えます。
とても気高く、そして頭が良い女性だと私は彼女に対して感じています。
彼女はありのままの美しさを大切にしている人でもありました。
オードリーのような全てが完璧に見えるような人でも、「自分には欠点があり、それを受け入れられるようになった」と話していて、その『ありのままの自分』をとても大事にしていたそうです。
銀幕のスターとして輝いていた彼女は、舞台を降りてからはとてもナチュラルでした。
必要以上な若作りをせず、健康的な生活を送り、己を律する。
写真に映る年老いた彼女はいつも少女のような可憐な笑顔に溢れていました。
彼女から学ぶことは本当に沢山あります。
ありのままの自分を受け入れること、若さに執着しないこと、他人の話をよく聞き、親切な心を忘れないこと。
簡単に出来そうで、実際は上手く出来ていない事ばかりだと思います。
亡くなる前の最期のクリスマスイヴに、子ども達に送ったサム・レヴェンソンの詩を、彼女は生涯愛していたといいます。
その詩には、彼女の生き様そのものが記されていると言っても過言ではありません。
その詩を私も胸に、より良い人生が送れるようこれからも努力していこうと思います。
『時を越えた美しさの秘密』
魅力的な唇であるためには、美しい言葉を使いなさい。
愛らしい瞳であるためには、他人の美点を探しなさい。
スリムな体であるためには、飢えた人々と食べ物を分かち合いなさい。
豊かな髪であるためには、一日に一度子供の指で梳いてもらいなさい。
美しい身のこなしのためには、決してひとりで歩むことがないと知ることです。
物は壊れれば復元できませんが、人は転べば立ち上がり、失敗すればやり直し、挫折すれば再起し、間違えれば矯正し、何度でも再出発することが出来ます。
誰も決して見捨ててはいけません。
人生に迷い、助けて欲しい時、いつもあなたの手のちょっと先に助けてくれる手が差し伸べられていることを忘れないで下さい。
歳を取ると、人は自分にふたつの手があることに気付きます。
ひとつの手は自分自身を助けるため、もうひとつの手は他者を助けるために。
女性の美しさは、その人の瞳の奥にあるはずです。
そこは心の入り口であり、愛情のやどる場所でもあるからです。
女性の美しさは、顔のほくろなどに影響されるものなどではなく、その人の精神に反映されるものなのです。
それは心のこもった思いやりの気持ちであり、時として見せる情熱であり、その美しさは、歳を追うごとに磨かれていくものなのです。
-サム・レヴェンソン-
夏の終わりと蝉時雨。
八月も終盤になり、夏ももうすぐ終わりを迎えますね。
あんなに聞こえていた蝉達の声も静けさを増し、彼らの亡骸だけが足元に転がっている事にどこか切なさを覚えます。
トンボが飛び、虫の鳴き声と風が秋を帯びて季節の移り変わりを感じる、そんな今日この頃です。
今年は何か夏らしい事をしたかな、と思い返してみました。
スイカとメロンと、きゅうりとそうめんを食べたくらいかな…。
あとは遮光性100%の日傘を買った事が一番夏を感じましたね。
熱中症で過去に倒れた経験がある自分からすると暑さは勿論ですが、日差しが一番の大敵なので、強い日差しを浴びずに外を出歩けることがとても嬉しく思えました。
夏になると毎年痩せてスッキリするのですが(夏バテとも言う)、秋になると気温が落ち着いてきて更に美味しい食べ物が増えるので、食べることを楽しめるのが良い季節だと思います。
今年は今まで秋にあまり食べてこなかったものに挑戦していきたいな、と考えています。
ハモ、サワラ、いちじくやザクロ。
他の季節の旬かと思いきや意外にも秋も旬の食材がたくさんあるようです。
夏のフルーツのイメージがある桃も、秋まで旬だそうです。
桃とブッラータのカプレーゼという桃を使った料理が特に気になっているので、作ってみたいと思っています。
まずブッラータを探す旅に出ないとですね。
ぷにぷにのお腹と二の腕とは縁を切りたいので、筋トレをしつつ色んなものを食べられる日が今から楽しみです。
夏の哀愁を感じながら、秋の訪れに胸躍らせて。
対等なようで対等でない関係。
反対側からは対等だと思っていても、その反対側から見たらそうでない事が多々あります。
特に人間関係においては、それが顕著に現れると思います。
さまざまな片側の『対等である』といった思い込みが片側の負担になっていたりします。
私は長い間、大まかなカテゴリーだと接客の仕事に就いてきています。
自分には合っている仕事だとは思いますが、やはり精神的には負担も大きいと感じています。
どんな場所においても、色々な人間がいます。
事前に「この人には近付かないでおこう」と避けられるシチュエーションは普段生活しているとありますが、公共の場である職場においてはそれを自分自身では選べません。
どんな人が来ても、変わらぬ笑顔と態度で接しないといけません。
長い間接客をしていると、店員と客という立場を理解してない人間が頻繁に現れます。
彼らはまるで、母親に甘える子どものように駄々をこねます。
身内に向ける感情を、他人である自分に向けてきます。
見た目はもう立派な大人なのに、子どもの姿が透けて見えるのです。
お金を払えば何をしてもいいと思っている人間は一定数います。
それで泣かされてきた人をたくさん見てきました。
私ももちろんその中のひとりです。
たとえ自ら選んだ仕事だったとしても、あまりにも人間扱いをされていない、尊重されていない事に気付き、そして傷つくのです。
店と客という関係性は、対等なようで対等ではありません。
店がサービスを提供し、客はお金を支払う。
それだけ見たら対等ですが、実際は違います。
金払いが良い客がいたら嫌な事を言われても笑顔で耐えなければならないし、反論も出来ません。
職場内で理不尽な事を言われたら抵抗出来ても、客相手だとそうはいきません。
店の上の立場の人間は、従業員がどういう精神状態なのかと考えるより、どれだけ客にお金を落とさせるかに重きを置いています。
そうでなければ店が潰れ、自分の負担と責任になるからです。
自分が上の立場になった場合、とても悩むことだと思います。
ある程度は我慢してもらわないと、一切客が寄り付かない店になるかもしれないからです。
本当は我慢などせず、気持ち良い環境で気持ち良い労働をして欲しい。
しかし客がそれを許しません。
皆が皆、優しく気高い精神を持っているとは限らないからです。
私達が生きているこの社会は、他者から様々なものを売買して成り立っています。
お互いが気持ちの良い売買が出来たらいいのに。
そんな簡単な事が一番難しく思えます。
店の人間である前に、心があるまずひとりの尊重すべき人間である事。
母親や父親に向けるような理不尽なワガママを押しつけてはいけない存在だと理解する事。
それが皆できる当たり前の世界を、私は望んでいます。
おとぎ話のような、皆が優しい幸せな世界を夢見て。
花言葉は「幻想」。
幸せへの近道。
幸せってなんだろう。
生きていると常々そんな事を考えてしまいます。
小さな頃はそんな事すら考えず、与えられた環境にただ向き合っていました。
大人になるにつれ周りと自分を比較し、「どうして自分にはこの幸せが無いんだろう。」と常日頃、虚無感を覚えるようになりました。
見えるものが増えると、その分今まで自分がどれだけ幸せだったかと同時に、どれだけ不幸であったかを痛感させられます。
生死の境を彷徨って無事生きる道が出来たのに、自らその命を絶とうとした事もありました。
私の人生は常に、身内以外の遠く離れた存在に助けられてきました。
一番に助けて欲しかった人は、一番近くに居ませんでした。
けれど周りからはそんな風には見られず、恵まれて愛されて幸せに生きてきたように見られ、私が笑っているだけで、目が合うだけで憎いとよく言われました。
心から笑う事が怖くなった私は、笑顔の仮面を着ける事にしました。
怖がりの私は誰とも目を合わさず、地面だけを見て歩いていたいけれど、他の人に上手に紛れるように背筋を伸ばして歩くようにしたのです。
すると、見える世界が変わりました。
昔と変わらず、傷付ける事を言ってくる人は勿論います。
けれどその反対に優しい言葉をかけてくれる人も現れるようになりました。
私みたいな人間に優しくしてくれるなんて、きっと何かあるに違いない。
その通り、邪な気持ちを持つ人も沢山いました。
しかし、そうではない人もいる事に気付いたのです。
純粋に私を笑顔にしたい、私と話すのが楽しい、そんなことを言ってくれる、そんな人達がこの世界に存在するのだと気付いたらなんだかむず痒い気持ちになりました。
今でも、自分の気持ちを素直に表に出すのは苦手です。
でも、どう思われてもいいから少しずつ自分の気持ちを相手に伝えられたら、それが幸せへと繋がるのではないかと、そう思う気持ちが人と接する機会が増える事で大きくなりました。
過去と他人は変えられないけれど、自分と未来は変えられる。
私はこの言葉が好きです。
怖がりで泣き虫な自分を、笑顔で胸を張って堂々としている自分が手を引いてあげる想像をしてみたら、今まで変えられなかった世界を少しずつ変えていけるのではと思ったのです。
幸せへの近道は、はるか遠い場所にある理想郷ではなく、すぐ傍にあったのかもしれません。
唯一得意なこと。
皆さんは特技ってありますか?
私は運動できない、泳げない、計算が苦手、方向音痴、トロい、手先が不器用…などなど挙げたらキリが無いくらい駄目な部分が多いです。
そんな自分が唯一得意と言えるのは料理。
子どもの頃から料理やお菓子作りが好きで、お菓子はお世話になっていた先生にも渡していたりしました。
料理を作っている時は食材を切ったりする事で集中し、何も考えない時間が出来るのでストレス発散にもなっていたりします。
趣味の中のひとつで料理というと、男性は特に気になるのか、「得意料理は?」と聞いてきます。
正直この聞かれ方はあまり好きではないです。
理由は、こいつは俺に何を作ってくれるんだ?俺の好きな物を作ってくれるんだろうな?と見定められてる気がするから。
それに日々料理をしていると、得意も何も無くなります。
好きなものや栄養バランスを考えて料理を作るので、得意料理だの何だの言ってる場合ではないのです。
多分男性からしたらそこまで考えて聞いてないと言われそうですが、世の女性は案外この「得意料理は?」という質問に引っかかっている人が多いそうです。
『「得意料理は?」と聞いてくる人はそもそも料理しない人』という文章を見たときになるほど〜!と頭の上に電球が点りました。(今はLED電球でしょうか)
カレーが大好きでスパイス等に凄くこだわってカレー作りに情熱を燃やしている人の得意料理はカレーで良いと思いますし、それが正解だと思います。
しかし大半の料理自体が趣味な人は満遍なく作るので「得意料理は無い」という結論に至ります。
…なんか理屈っぽい感じになってきました。
男性ウケするにはこんな小難しい事考えず、素直に男ウケが良い料理を挙げておけばいいんですよね。
そこまで考えが回らないで色々考えてしまうのが私の悪い癖です。
一昔前なら男性ウケの鉄板は肉じゃがでした。
けれど今肉じゃがアピールすると古いし狙っている感が分かりやすすぎて使えません。
男性はお子様向けの料理が好きな人が多いと思うので、そこを狙っていきましょう。
からあげ!オムライス!ハンバーグ!
うーん完璧です。
この三種の神器をこれからは使いましょう。
…男ウケ講座みたいになりましたが、実際に「得意料理は?」と聞かれたら、多分率直に「色々作るから…」と言ってしまいそうなダメな私でした。