一番好きな童話。

誰しもが必ず親しんだ事はある物の一つ、それは童話だと思います。

子どもの頃に読んだ絵本を覚えていますか?


私にはお気に入りの絵本がありました。

それはアンデルセン童話の絵本。

アンデルセンの童話だけが詰まった絵本を、子どもの頃の私は飽きる事なく何度も読んでいました。


その中でも一番好きだった童話は人魚姫。

人間の世界に憧れていた人魚姫は、嵐で海に投げ出された人間の王子を助け、その心惹かれた王子の為に人間になるのは有名な話です。


しかし、一般的には人魚姫が助けたのに王子は勘違いをして別の女の子と一緒になったり、声と引き換えに足をナイフで刺されているような痛みに襲われ続けたり、最期は海の泡となって消えてしまったりする何とも後味が悪い悲しいお話。

けれど子どもの頃の私はそんな悲しいお話が大好きでした。


今思うと、その絵本のイラストもかなり重要だったような気がします。

最期の時を迎える人魚姫が海の泡となって天に昇る描写が、水彩で描いた淡いオレンジ色の暖かい光に包まれていたからです。

そしてその時の人魚姫の表情は、王子に手をかけず海に身を投げ出した事を一つも後悔していない、どこか誇らしげで安らかな優しい顔をしていました。


そんな彼女に、私は尊敬の念を抱いたのかもしれません。

愛する人が自分を選んでくれなくとも、相手の幸せを願い自分が消えてしまうことすら厭わない、究極の自己犠牲であり自己満足な部分に憧れていた気がします。


人魚姫はキリスト教の強い影響を受けたものだと言われています。

実は海の泡となり天に昇った人魚姫は、そのまま消えずに風の精霊となるのが本来の結末です。

精霊は天使であり、生前の行いで魂が格上げされ来世は人間として生まれ変わる事が出来るのです。

人魚姫における人魚は怪物であり(日本でも人魚は妖怪なので似ていますね)、魂無き者が他人を愛し、他人の為に身を捧げる事で人間の心を得るという何とも考えさせられる話となっています。


私は宗教自体に興味は無いのですが、絵本以外でも何故か心惹かれる作品にはキリスト教の影響を強く受けているものが多々あります。

私の考えと重なる部分があるのでしょうか。

不思議なものですね。



人魚姫のようにもし愛する人が出来たとしても、そしてその人が自分以外の他の人を選んだとしても、心から喜べる自信が今の私にはまだありません。

私だけを見て欲しい、そう思ってしまうのはエゴであり子どもだと思います。

大人が大人になれる日は、いつでしょうか。

もしかしたら最期の瞬間まで、人間は子どものままなのかもしれませんね。

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ぷかぷかきらきらすーいすい。

タイトルから何を思い浮かべましたか?

察しの良い人ならお気付きの通り、水族館です。

海かと思いました?

海でも共通している部分があるので正解です。

あと魚でも正解です。

正解多いなとか言わないでくださいね。


暑い毎日が続いていると、涼しい場所に行きたくなりますね。

子どもの頃は図書館に入り浸っていましたが、ある程度年齢を重ねると、水族館に魅了され始めました。

海の生き物のそのままの姿も美しいですが、ライティングや展示の仕方でより一層美しさが引き立ちます。

ありのままでも充分だと感じる人もいるとは思いますが、ひと手間加えた美しさは何より素晴らしいと思えるのです。


海の生き物たちの中で特に好きなのはクラゲです。

海でのクラゲは危ない生き物ですが、薄暗い館内でガラス越しに光で照らされたクラゲはとても幻想的で、何時間でも見ていたくなります。


彼らに意思は無いけれど、そんな姿を見ていると「みてみて、とっても綺麗でしょ。それに優雅で美しくって目が離せないくらい魅了されちゃうでしょ」そう微笑みを浮かべながら囁かれているような。

ボーッと見続けていると、クラゲに誘惑され、海の底へ底へと引きずり込まれるような感覚に陥って目が覚めるのです。

そんなどこか小悪魔的な美しさのクラゲに、私は惹かれていたりします。



他に好きな生き物は金魚です。

水族館と海どこ行った?とか言わないでください。


お祭りの金魚すくいは失敗ばかりでしたが、出店のおじさんが必ず一匹は選ばせてくれて、可愛い赤い金魚と一緒に暑い夏を過ごしていました。


夏祭り、行きたいなぁ。


のんびりと泳ぐ魚たちを見ていると心が落ち着きます。

私が泳げないからこそ、水の世界に惹かれるのでしょうか。

それとも人は海から来たと言われている故に、

母の面影のようなものを彼らに感じているのでしょうか。

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星新一という作家。

皆さんはどんな本を読みますか?

私は漫画はもちろん好きですが、小説も大好きです。

と言っても最近の作家のものより、昔の作家の本を読む事が多いです。


ジャンルでは純文学、SFが特に好みです。

逆にあまり読まないのは経済や自己啓発でしょうか。

その読まない中でも渋沢栄一著の「論語と算盤」は面白く、読んだ事のない方にはおすすめです。

ビジネスマンに向けた内容かと思いきや、人格や人生をどう歩んでいくのか等、人間に湧き上がってくる感情やその動きにもスポットを当てていたりする本です

渋沢栄一が主役の大河ドラマ、青天を衝けもかなり面白いのでぜひ!)


SF作家では、私は星新一が特に好きです。

何と言っても読みやすい。

私は回りくどい表現をする作家や、意識高い作家が好みではないので、いかに読みやすく親しみやすいかが読み進めていくのに重要になってきます。(あと過度な性描写も好きではないです。)

彼の本で有名なのはショートショート

その名前の通り短編集です。

本をあまり読まない人にも手が出しやすいものになっています。


彼の良さは、簡潔なこと。

これに尽きます。

他の作家が日本が沈むのを描写するのに何百ページも使うところを、彼はそれを一行でやってのけます。

あまりにも簡潔すぎるのに、面白い。

短さの中に深みを感じる。

いつか彼のような小説を書いてみたいと思ったりしますが、やっぱり彼の小説は彼にしか書けないと何度読み返してもそう思います。


唯一無二、誰にでも出来そうなものが誰にも出来ない。

憧れます。





ちなみに、小松左京日本沈没も好きです。

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右脳と左脳の関係性。

私は読書が好きなのですが、最近読んだ本の中に「右脳と左脳を均等に使う方法」と言ったものがありました。


よく、右脳派左脳派と言う言葉がありますが、論理的か直感やひらめきかが大きな違いです。

自分では直感やひらめきばっかりの右脳派だと思い込んでいましたが、どうも私は論理的な左脳を使いすぎているようでした。


左脳を使うと理性的で冷静な分析が出来るのですが、行き過ぎると最悪な事態を想定してひとりで恐怖していたり、何で自分はこんなに完璧じゃないんだと必要以上に落ち込んだり、所謂ネガティブな考えが増えてしまうそうなのです。


これぞまさしく自分といった感じで、予測しなくてもいい出来事ばかり考えて勝手にマイナスな方向に行動を始めてしまっているなあ、と…。


他人の些細な目の動きや声のトーン、身体の向きなどから「この人からもしかして嫌われてる?」と推測してしまう癖があります。

結局のところ自分に自信がなく、嫌われるのが怖いからそんな癖が染み付いてしまっているのが、イヤな反面寂しかったりします。


自分が一番自由に生きたいと思っているのに、自分で一番自分を不自由にさせてしまっている。


皆さんはそういった事はありますか?


右脳が働きすぎても何も考えず突拍子な行いをしてしまったりよくない方向にいくので、脳の使い方はバランスが大切で、上手くいっていると精神の安定にも繋がるのだそうです。

バランスかぁ、バランス…。

難しいですね。





今日の花はコスモス。

バランス感覚に優れた星座、天秤座の花です。

花言葉は「調和」です。

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空を飛べたなら。

鳥になって空を飛べたなら何をするだろう。

とりあえず世界一周は間違いない。

はじめはまず国内の一番北から巡ってゆきたい。

なんだかここは冷えるなぁ、ここは暖かいなぁ。

鳥にそんな感情があるかは分からないけれど、私が鳥だったらああでもないこうでもないなんて一人ぶつぶつ言いながら飛び回るだろう。


鳥の体力はどれくらいあるのだろう。

海を越えて外国にも行ってみたい。

日本の食べ物を沢山食べて英気を養ったら、いざ行かん。


うわ、外国は空気が全然違うなぁ。

広大な大地が延々と続いていて、いつまでも変わらない景色。

一面に広がる青々とした草原の香りが、鼻をくすぐる。

ここに帰ってきたかったんだっけ。

変わり映えしない風景だけど、それが心地良い。

緑に包まれてこのまま眠りにつくのも良いかもな。


だめだめ、世界一周をするって決めたじゃないか。

愛しい草原に別れを告げて、また新しい場所へと向かう。

生きている限り、これを繰り返していくのか。

新しい場所との出会い、そして別れ。

永久に繰り返し命朽ち果てるその時まで、空高く飛び続ける。


外国すらも飛び出して、もし宇宙に行けたなら。

地球が無くなるその瞬間、宇宙からその様子を見ることが出来たらどう思うのだろう。

地球の最期は流れ星のように、ほんの一瞬きらめいて音も無く消えていくのだろうか。

宇宙に木霊するほどの巨大な爆発音と爆風を伴って消えていくのだろうか。

行く末がどうなるのか気になる胸の高鳴りと、愛すべき故郷が消え去る悲しみで、胸が締め付けられ涙が溢れてくるかもしれない。


鳥は泣くのだろうか。

在るものが消え去っていく虚しさを感じ取ることが出来るのだろうか。




そんな漠然とした想像をしながら、夜が更けていく。

今日の夢では、大空を飛び回る鳥になりたい。

何にも囚われない自由な鳥に。

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高いところが怖いのは。

皆さん何か恐怖症はありますか?
私は恐怖症がありすぎて、自分でも何故そんなに?と首を捻るほどです。


私が恐怖症の中でも特に一番怖いのは、高いところ。
2階レベルの高さでもう無理です。
ジェットコースターなんてもってのほか。
高所に加え落下なんて、投身自殺の体験をわざわざしに行くようなものです。
恐怖どころの話ではないです。
なのでジェットコースターが好きだと言う人を見ると、手軽に臨死体験を味わいたいのだなととても不思議に思ったりします。
ロマンチックな観覧車も、頂上に上がりきるまでの時間は死刑台に近付いていくような恐怖の時間です。


けれど、何故か頂上からの見晴らしは結構好きだったりします。
東京タワーやスカイツリーも、窓の近くに寄りたくはないのですが、街を一望したり夜景を見るのには心惹かれます。


どうしてだろうと考えた結果、『今何かが起こって壊れて落ちてしまうかもしれない』という心配性の部分と、『自分は運が悪いからたまたまその何かが今起こってしまうかもしれない』というネガティブな部分が出過ぎてしまい恐怖が生み出されるが、雄大な景色はそもそも好きなので矛盾が生じているという結論に達しました。


下を見なければ怖くはないけれど、高いところに行くという時点で登り降りは必須なので難しいですね。
これを解決できる道具を作れたら、ノーベル賞ものです。
まずは道具を作るための資金集めから始めないといけないですね。






今回の花はエーデルワイス
スイスのアルプスの山々に咲く、高山植物です。
高い場所に咲く花を、間近で見られる時は来るのでしょうか。
花言葉は『大切な思い出』です。

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何かを書くということ。

唐突に文章を書きたくなって、ブログを開設してみました。

昔から日記や小説など文章を書くことが好きで、特に小説は自分で楽しむ為だけに書いていた時期もありました。

基本的に自分のことを発信している場といったら、ニコニコ生放送の配信かTwitterのみになるので、私を知ってもらえているようで知られていない部分もあるのかなとふと気付きました。


なんだか、『ました』ばかりですね。

文章だと畏まって固くなってしまいますが、その内慣れると思うので…。

気が向いたらその時々感じたことを書き留めたいと思います。


最近台風が発生したせいか、上手く熟睡出来ない日が続いていました。

10代の頃はそこまで天気や気圧に左右される事は多くなかったのですが、歳を重ねる度に不調が顔を覗かせてきますね。

生まれつき身体が強くないので、常に何をするにも休み休みで、そんな自分をずっともどかしく感じていたのですが、急いで生きて早く朽ち果ててしまうよりかは良いのかなと思えるようになってきました。 

のんびりを必要とした身体と、せっかちな心はなかなか連動してくれないもので、それがパズルのピースのように合わさると負担が減って、楽に生きていくことに繋がるんじゃないかと自分に言い聞かせていたりします。


皆さんも、ちゃんと必要な時に休めていますか?

忙しくて大変な毎日かもしれませんが、のんびりと遠くの景色を見つめ、何も考えない時間を作るのも大切だと思います。

日々の疲れが少しでも取れますように。




時季にはまだ早いですが、青く綺麗に輝くリンドウを添えて。

花言葉は『悲しんでいるあなたを愛する』です。

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