すべてが意味ある事に思えるように。

皆さん、あけましておめでとうございます。

新年ですね。

私は大晦日まで仕事だったので、帰ってきて年越しそばを食べて、紅白を見てこたつに入っていたらいつの間にか眠っていました。


いつもなら紅白を見て年越しそばを食べて、からのジャニーズカウントダウン(ジャニーズには全く興味無いですが、カウントダウンをしてくれるのがこの番組だけなので)にチャンネルを変えてカウントダウンをして、その場でジャンプしながら新年を迎え、CDTVライブを朝まで見るのがルーティンでした。


眠っていたせいで年を越した感があまり無いですが、去年は私の中で私自身が大きく変化した年でした。

今まで行った事のない場所に行ってみたり、関わった事が無い人と関わり、新たな環境に飛び込んでみました。


若い頃の自分を思えば、無謀な行動とはまた違った形で自ら動き出していたと思います。

相手に何と思われようと、自分の気持ちを相手に伝えた事が自分にとってとても大きな出来事でした。


一人一人に向き合い、私はこの人に対してどう思っているんだろうと深く考え、少しずつ答えを出していました。

嫌なものに対しては嫌と言い、嬉しさや楽しさや好意はなるべく素直に伝えました。

それが相手にとっては、私の発言や行動はどう受け止められたかは分かりません。


軽いな、馬鹿な女だな、気持ち悪い、ウザい、お前みたいな人間が口を出すな。

きっとそう思われていたかもしれません。

頭に浮かぶのは常にマイナスな言葉ばかりでした。


以前の自分なら、先に勝手に相手の気持ちを読んで、きっとこう思ってるんだろうと思い込んでいました。

そして自分の殻に閉じこもって塞ぎ込んだり、相手の言葉をマイナスに受け止め「何でこの人はこんな事を言うんだろう」と腹を立てていました。

しかし実際聞いてみると、全然違った答えが返ってきて、とても驚いたのです。

特に仕事に関しては思っていたものと真逆な事ばかりで、如何に自分が自分を一番責めていたのかという事に気付きました。


きっとこういう事は、普通の人ならもっと早くに経験しているものだと思います。

遅すぎるくらいの感情や行動の変化に、馬鹿にする人もいるでしょう。

けれど、それが今が一番若いこの瞬間にわかって本当に良かった、と声をかけてくれる人がいた事に、立ち止まったままの自分が救われた気がしました。


人の優しさに救われて、自分自身の育て直しの年だった、2021年。

2022年は自分のペースでゆっくりゆっくりと進んでいこうと思います。

また自分の気持ちが分からなくなって自暴自棄になったり、人の気持ちが見えなくて不安になることもあるでしょう。

その中でも過去から少しでも抜け出せてほんの僅かな成長や幸せを見つけられたら、転んでも立ち上がって歩き続けられるのかもしれません。


皆さんの毎日が幸せで、優しいものになりますように。

拙い私ですが、今年も一年よろしくお願いします。

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聖なる夜と鈴の音。

世間はもうすぐクリスマス。
皆さんはクリスマスの思い出はありますか?


子どもの頃、目を覚ますと枕元にはラッピングされたプレゼントが置かれていました。
毎年楽しみにサンタクロースを待っていた私は、何としてでもプレゼントを持ってきてくれるその姿を見たくて、ベッドの中で頑張って目を開けて起きていたのを覚えています。
けれどその姿を見ることはなく、いつのまにかプレゼントも枕元から消えていきました。


今思えば、もちろんそれは両親がしてくれていた事で、姿を見られないように私がちゃんと眠っているのを確認してからこっそりと置いてくれていたのだと思います。


しかし、一度だけ不思議なクリスマスがありました。
自分の部屋で眠っていたとき、ふと夜中に目が覚めたのです。
上半身を起こし、ぼーっとしていると何か音が聞こえてきました。
なんだろう?とカーテンを開けて窓越しに外を見ても誰もいません。
ベッドから飛び出して、両親が眠っているかを確かめに行っても二人はぐっすりと眠っていて、何か物音を立てている様子もありませんでした。


また自分の部屋に戻ると、さっきは遠くから聞こえていた音が少しずつ近付いていました。
シャンシャンシャン…
澄んだ鈴の音が聞こえ、その音が大きくなってくると強い眠気に襲われて、気が付くと眠りについていました。
そしてそれからすぐ起きたと思ったら、もう外は明るくなり完全に朝になっていたのです。


枕元にはプレゼントが置いてあり、結局サンタクロースの姿はその年も見る事はありませんでした。
そしてその翌年からプレゼントが置かれる事は無くなり、その不思議な鈴の音を聞いたのが最後の年となりました。


きっとあれはただの夢で、実際は何も無かったのだと思います。
けれどサンタクロースと別れを告げるその歳に、姿を見せられない代わりに音だけでも、とサンタクロースが最後に私に残してくれたプレゼントだったのかもしれません。


そんな気持ちをくれたサンタクロースが今でも大好きで、大切に想っています。
これから先いつか逢う事が出来たら、そんな記憶に残る優しく素敵な想い出を私にプレゼントしてくれてありがとう。
そう、伝えたいです。

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ワガママと悪い子。

何でも自分のせいだと思い込んでしまう、私の悪い癖。

それって自分ひとりじゃ何も変えられない出来事に対しても、自分ひとりでどうにか出来ると思っている自意識過剰なところがあるのかもしれない。

自意識過剰って言われるの、めちゃくちゃ腹が立つけどね。言われなくても分かってるから、余計に。

 

天気だって、人の心だって操れない。

それなのに他人から見たらちょっとした事にだって、私は私が悪い子だからだ、これは罰だ、なんて考えてしまうのは小さい頃からの積み重ねだろう。

周りにいる人間で、人格は形成される。

運が良ければ良い親の元に産まれて、良い環境にいられる。優しい人達に囲まれて育ってこられる。

何でも運のせいにするのは良くないけれど、それも自分じゃ決められない。

何で人生ってこんなランダム要素強め?おかしくない?って思ったりする。

 

けれど、どこかで上手くバランスが取れているのかもしれない。

気付いていない部分で私は恵まれているのかもしれない。

でも辛いものは辛いし、好き勝手に思いたい。

みんなも同じ気持ちになった事あるから、私もそう思わなきゃ…。

なんて考えてしまうから。

 

あー、違う違う!私は私が嫌なんだもの!

みんなでも他の誰でもない、私が嫌!

少しはそんなワガママで、自分に甘くなってもいいのかな。

 

色んな人達の言葉を受け取って私という存在は成り立っていて、私自身の考えたり生み出す力なんてちっぽけだ。

だけどそう思える自分がちょっと良い奴かもななんて、少しのナルシズムに浸るのも悪くない。

 

今日は、家事も何もせずぐうたらしちゃおう。

ご飯だってインスタント食品で済ませちゃうもん。

だって、おもいきりコンクリートにぶつけた膝が痛むんだもの。

悪い子だから、ベッドじゃなくてこたつで寝ちゃう。

こたつで寝ちゃう人を悪いとは全く思わないけど、自分に対しては思ってしまっているんだよね。

だから悪いコトしちゃうってドキドキ感もある。

でもでもそれよりぬくぬくであったか〜い。

うーん、悪魔的暖かさ……。

 

甘いものも、いっぱい食べちゃおう。

あ、でも月のものに影響してお腹の痛みが強くならないよう、程度には気をつけなきゃね。

そこは自分の身体を労ってあげる良い子なのでした。

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音色に誘われて。

皆さんが感じる心が落ち着く音はなんですか?

焚き火、風、波、虫の鳴き声…。

様々な音が世の中には溢れています。

電子的な音も好きですが、落ち着くとは少し違うなと感じます。


なかでも好きなのは雨の音。

シトシトと優しく降る音は、安らぎを与えてくれます。

雨が降る前の気圧の変動など考えると頭が痛くなってしまいますが、室内で聞く雨音は空間をしっとりとした空気感にしてくれると思っています。

どこかノスタルジーな感覚にも陥るような気がします。


小さい頃は、雨が飴だったら良いなぁと思っていた子でした。

空から飴が降ってくるなんて、なんて幸せなんだろう、そう感じていたのでしょう。

実際には飴が降ってきたら雹みたいに大変な事になってしまいそうですよね。

しかし雨が飴で、飴音なんて名称だったら、何だか軽やかで元気な音色が聞こえるような気がします。


大人になってからはする機会もありませんが、雨の日に傘を差しながら歩行者と車道をわける白いラインの上にあった小さな水溜まりに足を乗せるのが好きでした。

ラインの上を歩く楽しさと、小さい水溜まりを踏む楽しさ。

そんなことが当時はとても楽しく思えたんだなぁと何だかちょっと切なくなりました。

ああ、これがノスタルジーな感覚ですね。


なんてことのない毎日が、あの頃のように楽しく幸せな日々になりますように。

そう願わずにはいられない今日この頃でした。

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大切なもの。

皆さんは大切にしているものはありますか?

物だったり、人だったり、さまざまな大切なものを人それぞれ持っていると思います。


私が大切にしているのは、記憶と感情です。

「何を考えているか分からない」

と昔から周囲に言われていた自分ですが、そう言われる度に「他人の考えをすべて分かる人っているのかな?」と疑問に感じていました。


分かりやすい感情表現をする人もいますが、その奥に何が潜んでいるかはその人自身にしかわかりません。

口に出した言葉がそのまま本心とは限らないからです。


本心を言うくらいなら、当たり障りない言葉を吐いたり、何も言わないほうが良いと思っていたからです。

それは今でも変わりません。

私を特別視してくれる人にだけ、私の気持ちは見えればいいと思っているからです。


何かを大切に思う気持ちは、心の奥底に眠っているものだと思います。

他人から見たらくだらない物や出来事だって、その人からしたらとても大切なキラキラと光る宝石だったりするのではないでしょうか。


勇気を出して大切なものの話をすると、それを否定する人が現れます。

そんな人達に対して凄く不思議な気持ちになります。

「この人に大切なものって存在しないのかな?」

それは気付いていないだけで、きっと誰しもが持っていると思います。


頭の中に鮮明に残る美しい景色、昔見た忘られない夢、誰かを想う気持ちや、自分が好きなことに向き合う心。

大切なものは形ないものだったりするのではないでしょうか。

目に見えないものを大切にしていきたいですね。

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癒やしを求めて。

皆さんは癒されるものってありますか?

色々あると思いますが、私は動物や海の生き物、神社仏閣やレトロな建物、喫茶店、自然、もふもふしたり肌触りの良いもの、絵画や舞台などの芸術作品…。

思いついただけでもこれだけあります。

 

特に自分自身が『綺麗』と思ったものは時間を忘れられるくらいボーッと見続けられて、心が解放されるような気持ちになります。

その瞬間は無駄に考えるのをやめる事が出来たりします。

それは人にも当てはまったりします。

綺麗な女性を見ると、思わず目で追ってしまうんですよね。

それは絵画の中にいる女性でも同じです。

 

絵画の中で一番好きなのが、ジョン・エヴァレット・ミレーのオフィーリアです。

オフィーリアはシェイクスピアハムレットの登場人物を描いたもの。

川に横たわっている女性が、木々や花達に囲まれ、これから死を迎えるであろう直前まで歌を口ずさんでいる。

説明だけ聞くととても怖さを感じる作品ですが、とても幻想的な美しさを放っています。

 

いつかは生で観てみたいと思いながら、未だに見ることは出来ていません。

所蔵されているロンドンのテート・ブリテン美術館にいつかは観に行ってみたいものです。

 

 

最近、美術館に行きたいとずっと言っています。

どれだけ行きたいんだ、というくらい温泉と美術館は行きたいと言いまくっています。

いつも一人行動をしていてどこへでも行けてしまう私ですが、その2つと女の子が集まる話題のスポットは緊張してしまい躊躇ってしまいます。

行ったら行ったで絶対に良い思い出になると分かっているので、あとは一歩を踏み出すだけですね。

 

とりあえず勇気を出すまでの今は、もふもふの毛布に癒されることにします。

寒いのは苦手ですが、もこもこの上着とふわふわな靴下ともふもふの毛布につつまれているこの瞬間は幸せだなぁと思えます。

あ、あとぬくぬくなコタツとあつあつなお鍋も。

冬は擬音がいっぱいで楽しいです。

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弱い自分と魔法の鏡。

皆さんは自分をどんな人間だと思っていますか?

私は客観的に自分を見ると、悪い部分ばかり見えてしまいます。

それに比べ他人を見ていると、良い部分ばかり見えてきます。


私に無いものを、他の人はたくさん持っている。

反面私には何も無い。

他人からいくら褒められてもその気持ちは変わることはありません。

自分は自分に対してとんでもなく頑固で、優しくなれません。

他人が落ち込んでいると胸が痛んで優しくしたいと思うのに、自分が落ち込んでいても余計に責めるだけで、救うことすら考えられない。

私は他人に優しくしている自分に酔っているのだと思います。

自分に一番近い自分に優しく出来ないのは、本当の優しさだと思えないのです。


エゴの塊の私は、いつもひとりぼっちだと思い込んでいます。

それはきっと他人は私を傷つけるものだと、自分と他人を重ね合わせているのかもしれません。

八方美人を自覚しながらも、それを辞めて人と深く関わるのを恐れています。

それなのに他人には本当の自分を知って欲しい。

そんなワガママな自分が大嫌いで、酷く憎らしいです。


自分の行いや駄目な日々を私は忘れる事が出来ません。

ネガティヴな綱に引っ張られて、自縛して脳を抑えつけているのです。

上手く過去からの支配から抜け出し、それを導いてくれる師のような人を私は探し続けているのかもしれません。

本を読むのも、きっと答えを探し続けているのだと思います。


けれど日常の中にそんな教えは無数に存在していて、それに怖がらずに目を向けていくのが、『生きていく』という事なんだと思います。


鏡の中の自分と手を重ねると、同じように触れてくれます。

自分の手を自分で握ってあげると、鼓動が伝わってきます。

他人と接するのも、きっとそういうことの繰り返しであることを忘れてはならないのでしょうね。

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